天地のブログ

日常の何気ない出来事からスピリチュアルな内容を探ります。

病床に臥して

▶︎大霊の摂理に一致した生き方をしているかぎり、克服できないような困難は生じないということを知らなければなりません。遭遇している困難や障害が取り除かれてしかるべきものであるなら、私たちの力で排除できないものはありません。

もしも苦しみが余りにも耐えがたく思われるときには、こう理解してください。私たち霊界の者は、あなた方の苦しみを取り除くために自分自身の進化の歩みを止めて努力します。しかしあなた方としては、その苦しみに耐え抜き、辛い体験を通して教訓を学び取る方が賢明であるということです。この短い地上人生のことだけを考えてはいけません。永遠の生命を視野におくことです。


(中略)


悲哀の極みをなめ尽くして初めて、魂の奥底からの喜びが味わえるのです。生命の階段を低く下りるほど、それだけ高く上がれるのです。地上人生の陰と思える体験を重ねるほど、日向の喜びがひとしお身に沁みるようになるのです。

すべてのことが霊性進化の肥やしになります。そのうち皆さんも、肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上人生を振り返るときがまいります。その時、紆余曲折した出来事の中で、それらの一つひとつがちゃんとした意味を持ち、すべての体験が皆さんの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出すことになっていたことを理解するようになるはずです。

魂にとって、正しく理解し正々堂々と立ち向かって何の益ももたらさないような体験は一つもありません。いったい、困難も試練も問題もない物質世界というものが想像できるでしょうか。そうした世界では何の進化も得られません。克服すべきものが何もないからです。あるのは堕落のみです。

(シルバーバーチの教え・上 六章 すべてを支配する神の摂理より)



今大学病院のベッドに横たわってこの記事を書いている。

入院して二日目。病名は舌がん(扁平上皮がん)だ。ごく初期の段階なので、命に関わることはなさそうだが、やはり「がん」という言葉の響きを聞くと、少なからずショックを受けるものだ。


スピリチュアリズムに関わるようになって一年余。死への恐怖はなくなったが、実際今死んでしまったら、残された家族はどうなるのか。初期だからいいようなものの、もし末期がんだったら、自分も周りももっと深刻になることだろう。子どもの養育、年老いた親の面倒など、懸念事項が山ほどある。

「自分はあの世に行っても構わない」と言ったら、家内から「あんたはいいけれど、残された私たちはどうしてくれるの?」と言い返されそうだ。


ただ、覚悟はできている。この地上界にいようと、霊界に行こうと、今いる環境でベストを尽くす。いつもそう思っている。


困難に直面すると、普段隠れていたものが見えるようになってくる。自分の周りの人たちの反応を見ていると、いつもと違って、こんなことを考えていたのか!と新たな発見があって面白い。特段命に別条はないのだが、それでもさまざまなことまで心配してくれる人。この際、仕事の心配などしないで、思いっきり休養を取ったらいい、という人。私が職場を休むことになって、仕事が滞り、状況が大変になることに対して、陰で不平を言っている人(実際周りに迷惑をかけるのだから、当然と言えば当然だが)。反応はさまざまだ。


でも、自分に対して優しい言葉であれ、厳しい言葉であれ、すべてありのままを受け止めようと思う。

そして、現実に霊界に行く時、そのまま持って行こうと思う。


何事も経験だ。生きていても健康であればこんな経験はしないだろうし、恐らく病気で苦しんでいる人たちのことなどわからないかもしれない。苦労している人たちに同情はしてあげても、本当の意味でその人たちの気持ちには寄り添えないかもしれないのである。

それを思えば感謝である。どんなことでも経験することに無意味なことはないのではなかろうか。

困難な時にどう対応するのか?そういう時にこそ人間の真価が問われると思う。


シルバーバーチの言葉によると、人間は新たな経験を求めて地上に再生するらしい。もちろん再生する理由はそれだけではないのだが、今この瞬間の経験が、永遠の人生から見た時にとても貴重なものであるかもしれない。


また、こうして病院のベッドで一文一文綴っていると、同様の病気で苦しんでいる人たちに、少しでも希望の光を届けられないものかとも思う。


私たちは、例え今の命がなくなったとしても、それですべてが終わるわけではない。霊界で永遠に生き続けられるのだ。むしろ、霊界に入ってからの方が遥かに長い。それを思えば、現在の困難に落胆はできないだろうし、今この時をもっと大切に生きられるはずである。

大丈夫。余命が短くとも、我々人間は死んでからこそ本当に生きるのだから。そして、霊界に行ってからの方がもっと幸せに生きられるのだから。


シルバーバーチは、愛する人に先立たれた女性が、自ら命を絶つことは許されるかという質問に対して、それは許されないと答えた。その女性はそれを聞いた瞬間には、暗澹たる気持ちになったそうだが、やがて、残された地上人生を力強く生きていこうという心境に変わったそうだ。


例えどんな境遇にあろうと、自らの手で命を絶ってはいけないし、悲観してはいけない。我々には、やがて来るべき素晴らしい霊界での人生が確約されているのだから。それを思えば、期待と喜びに胸躍らせるくらいでないとおかしいということになる。

もともと、現在の再生人生の前に、このような困難が降りかかることがわかって、覚悟して再生して来たということだ。それを思えば、現在の境遇に文句は一切言えない。


むしろ考えなければいけないのは、後悔する人生を送ってしまったかどうかだ。もし後悔する人生を送ってしまったのなら、死後、ある期間懺悔する非常に苦しい時間を持たなければならないらしい。そのことは、最近のスピリチュアリズム・インフォメーション48号に掲載されている、シルバーバーチの交霊会で重要な任務に携わった方たちの霊界のメッセージに示されている。

そこには、彼らが、実践することが真の救済である、と証言していることが記されている。


実践することは、信ずることよりももっと難しい。


前回でも書いたが、イエスは正に現在、この地球上に再臨している。その再臨のイエスとともに、地球人類救済計画の一端でも担えることが、どれだけ素晴らしいことかを実感しながら、真のスピリチュアリストとなるべく、霊的真理を実践していきたいものである。