天地のブログ

日常の何気ない出来事からスピリチュアルな内容を探ります。

欲望民主主義の果て

▶︎ー霊的プランがあるということを何度も聞かされているのですが、その影響はどこにも見当たらないようですが・・・・・。


それはあなたが物的視点からのみ見ているからです。あなた個人の短い人生を尺度として見ているために進展がないように思われるのであって、別の次元から見ている私たちには進展がわかるのです。霊的知識が広まり、霊的なものへの理解が深まり、寛容的精神が高まって善意が増し、無知と迷信と不安と霊的束縛による障壁が崩れていきつつあるのが見て取れます。

突然として革命が起きるかのように想像してはいけません。そういうものは決して起きません。霊的成長は、ゆっくりと段階を追ってなされるものだからです。絶望する必要はありません。拡大する物質主義の勢力を見ていると絶望感を抱いてしまうかもしれませんが、他方では唯物的な利己主義の霧を貫いて霊的真理の光が射し込みつつあります。知識が広がり続けるかぎり霊的真理の勝利は間違いありません。

(シルバーバーチの教え 新版・上 三章 霊界を挙げての大計画より)


(シルバーバーチの霊訓の掲載については、スピリチュアリズム普及会から了承を得ています)



さて、前回書こうとして漏れてしまった内容を綴ってから本題に入ることとする。


拉致監禁という苦い経験をして数年して、世帯を持つことができた。三男一女の子宝にも恵まれたのであるが、ある時、拉致監禁経験者は福岡教会に集まるようにとの指示が出された。後藤徹氏が10年以上にわたる監禁から解放された後のことだった(後藤徹氏が、監禁した脱会屋、家族に対して起こした民事裁判は、後藤氏が勝訴している)。


それは、どうやら教祖である文鮮明氏の子息である仁進氏、国進氏の要請で全国で行われている集会の一つであった。

大体、教祖一家の指示でなければ、摂理と呼ばれていた、献金、伝道、あるいはその他のプロジェクトの件以外でこんな大掛かりな指示が出されるはずがない。

恐らく、後藤氏の事件が発覚して、この二人も拉致監禁の事実を初めて知り、動いたのであろう。

飽くまでトップダウン、それも教祖一家の指示がなければまったく新しい動きなどできない、硬直化した組織である。


さて、食事をしながら先程の二人が経験者たちの話を聞くのであるが、始めから一貫して二人とも神妙な表情を崩さなかった。しかし、その二人の表情よりも、目に焼き付いて離れないのが、少し離れたところから、ずっと「悪かったね。申し訳なかったね」と言い続けていた、霊感商法の大元締めである元HW社社長のF氏の態度である。卑屈で嫌な薄笑いを浮かべながら、誠意のかけらも感じられない謝罪を繰り返していた。

そもそも拉致監禁対策の担当でもないこの人が、なんでこの場にいるのか?そのこと自体がわからない。この人の責任大の霊感商法を始めとする教会のスキャンダルが、拉致監禁の現場でたった一人の末端信徒にぶつけられ、教会の悪質性を追及されるのは確かだ。その意味では、真っ先に反省してもらいたい一人には違いない。だが、その責任を本当に感じているのか?

そういったスキャンダルの事実性を教会は否定しているが、最近の調査では、そのほとんどが事実であったことを知った。間違いのない事実を、拉致監禁の現場で反論することなど不可能に近い。教会の悪事の数々をまくしたてる牧師の言葉など無視していればいいのであろうが、長期間の監禁に耐えられなくなった信徒たちは、哀れ離教に追い込まれるのである。


その後、拉致監禁経験者は一時的にヒーロー扱いされ、表彰状までもらったり、福岡の天神の街中をデモして歩いたりしたが、案の定一過性のもので終わった。教会の幹部が拉致監禁対策に重要性を何ら感じていないからである。


今再び教会は、後藤徹氏の監禁を始めとして、拉致監禁の事実をクローズアップしているが、飽くまで解散防止対策としてであって、拉致監禁が皆無になった今となっては、ほとんど意味がない。


前置きがかなり長くなったが、今回の話の核心に入ろう。なぜ宗教団体が、先程のF氏のような経済担当を必要とするのだろう。F氏は確かにそのアイデアと統率力で教会に莫大な利益をもたらした。だからこそ押しも押されもせぬ幹部に昇り詰めたのである。


別に統一教会だけでなく、宗教団体は普通信徒の献金、関連企業の上がり(直接組織に流れる訳ではないが)などで、多くの利益を得ている。そういった意味では、会社組織と変わりはない。スピリチュアリズムの言葉で言えば、物質中心主義に侵されているのである。献金額だけではない。布教活動によって、多くの信者獲得を目指す。本来人々の霊的指導、精神的指導を担うべき宗教が、数字の魔力に負けてしまっている。


宗教団体がこれだから、一般社会はもっと物質中心主義に侵されているのは当然のことだろう。人々は血眼になって、お金と地位を求めて日々四苦八苦している。本来人間として、霊的成長を目指して努力すべきところを、目に見えるモノだけを必死になって追い求めて、貴重な人生を無駄にしている。


モノを追求する欲望は、とどまるところを知らない。欲望が欲望を産み、更にエスカレートする。

人々は高額な趣味、グルメ、住宅などに挙って走り、享楽に溺れる。そしていつの間にか利己主義の罠に陥っているのにも気づかずに、競争社会、弱肉強食の社会が生み出される。

勝ち組と負け組が明確に分けられ、負け組になってしまった者は一生惨めな思いで暮らさなくてはならない。


欲望民主主義とはよく言ったものである。欲望民主主義はそして、経済の半永久的成長を目指す。成長が持続して経済のパイが拡大しなければ、人々の欲望を満たせないのだ。

基本、減税は善政と言われるが、減税によって購買意欲が増大した消費者は、更なる豊かさを求める。そして、便利なモノ、見た目がキレイなモノ、美味しいモノを追求するので、イノベーションが更に発展する。

科学技術の発展は別に悪くは感じないが、現在のAIに代表される技術革新は本当に我々の生活を良い方向に導いているのか、検証することが必要ではないだろうか。物理学の発展が、いつの間にか原子爆弾という怪物を生み出してしまったように。


太平洋戦争で生命を落とした方たちは、戦後日本がここまで豊かになることを想像していただろうか?

そして一方で、戦前の豊かな精神性を同時に失ってしまうことも予想していただろうか?


ここまで豊かになった日本。こんなに物質的に豊かにならなくても、もっと幸せに生活できるのではないだろうか。シルバーバーチが言うように、霊的成長がゆっくりと成され、霊的真理が勝利すれば、きっと日本はもっと暮らしやすくなるのではないかと思う年末のひとときである。


最後にある老人から教えていただいた言葉を持って今年の締めとしたい。

「自未得度 先度他」

(道元禅師 正法眼蔵より、自分はまだ彼岸にはいないが、他の人を彼岸に渡してあげる、そういう思いを起こすことが大切だという意味)


私もまだまだ霊的には成長途中ですが(もちろん永遠に成長につぐ成長ですが)、多くの人たちの救いのために来年も頑張っていきたいと思います。

来年もよろしくお願いします。